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勉強あってこその傍目八目

何故調べずに物を書けるのか。最大の理由は「自分なら基本的なことを調べずとも、中立的な視点でその物事に対して判断をすることが出来る」と本人が信じていることにある。


無知さを指摘すると「知識のない人は黙ってろということか」と自分で言う。そして無知から生ずる主張と、その主張の無知さを指摘するやり取りを見て「すごい議論ですね」と自分で言う。また基本中の基本を議論をする人に対してではなく、単なる読み手オンリーの人のためにまとめを書くと「これが読みたかった」。少しは調べてあると思ったら、適当な切り貼りで相応しくない例を出す。無知であることを自覚してくると「考えは人それぞれだから」「どっちもどっち」に落ち着き「もうこの話からは降りるよ」と一方的に話を切る。最後に「知識も興味もないが、どこまで議論出来るか試してみたかった」。


この辺はお決まりの王道パターンなので、インターネットにおいて様々な界隈で見られる。

無知そのものは基本的に悪くはない(世の中のあらゆるものに対して、基本的な知識を得ることは現実的に不可能)。また知識量に比例して立ち位置が動きにくくなるが、無知であると時間の経過により立ち位置が流動しやすく、立場立場で主張が変化するため読み手は混乱する。

無知で言及するのは悪いことではない。しかしある程度の知識量がないのに、的外れな論を書き続けることは「物事を深く追究するための議論」において単なる害でしかない。

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2008年の1月に発端
正しい意見を間違っているかのように印象づけるテクニック

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4月に入ってまとめ
無知・無関心であることが中立という考え/「どっちもどっち」という罠

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